B005 我騎兵隊ノ将校斥候定州南門附近二於テ頑強ナル敵之砲火二應ジ勇闘猛戰竟二之ヲ撃退定州ヲ占領ス |
早稲田大学文学学術院助教の向後恵里子は「日露戦争を描いた画家たち—非従軍画家による戦争イメージの形成」の中で「戦争錦絵・石版画は、錦絵自体の求心力が衰えたことで不振に終わったが、戦争初期には小林清親をはじめ楳堂小国政(柳蛙)、尾形月三(圓整)、右田年英(梧齋)などが活動した。」と月三(圓整)の名をあげているので、この錦絵は日清戦争時のものではなく、日露戦争時のものである可能性が大きい。
大英博物館はこの作品を1894年のものとしているが、大英博物館には他にも3作の月三の作品が収蔵されており、それはいずれも、1904年のものである。つまり、日露戦争の時の作品ということだ。サインや圓整の印は同じなので、この作品は日露戦争時のものと断定してまず間違いないだろう。
各作品のサインと印を比較してみる。 |
大英博物館はこの作品を1894年のものとしているが、大英博物館には他にも3作の月三の作品が収蔵されており、それはいずれも、1904年のものである。つまり、日露戦争の時の作品ということだ。サインや圓整の印は同じなので、この作品は日露戦争時のものと断定してまず間違いないだろう。
画題には騎兵隊とあるので、騎兵第一旅団(旅団長 秋山好古)を描いたものかもしれない。
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