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2012年12月21日金曜日

異刷から考えること。

S028 鹿児嶋県暴徒熊本乱入圖


 今回静岡県立中央図書館から提供を受けた三作品は、すべて、国会図書館に異刷が存在している作品である。これまで、西南戦争に関連する錦絵をリストアップする目的からなるべく重複した絵は避けてきた訳だが、今回たまたま三作とも重複作品となった。重複していると、当然もう一枚の絵と比較していくことになるのだが、今回は、三種三様の展開があって、非常に刺激的だった。

 まず、「S026 征韓論之圖」では先日投稿したように、「名指ししない配慮のある」(Yajifun Sさんの表現、的確です。)明治天皇の肖像が隠されていた。

 次に、「S027鹿児島勇婦揃」の静岡県立中央図書館版では「背景の幕のぼかしを取りやめて、薩摩のマークが際立つようにした。旗も目立つようにした。そして、色のバランスを考えて馬の色を変えた。さらに、説明を補足して、乳飲み子の存在を強調し、名札の並びを整えた。」といった変更がなされている。

 さらに、「S028 鹿児嶋県暴徒熊本乱入圖」はなんと、タイトルが、「081鹿児島戦記 〔熊本城の戦〕 」から替わって刷られている。これは、気づくのに時間がかかった。絶対に見たことあるぞと思いつつ、タイトルで検索しても全然ヒットしないのでたどり着くまでにかなり時間を費やした。見つけた時は本当にびっくりした。この作品に関しては、どっちが先か、まだまだこれからの検証をまたねばならないが、今回のこの三作品は全く想像もしていなかった展開で、わくわくしながら作業を進めることができた。

 詳しくは、是非是非ホームページの方でご覧下さい。

2012年12月19日水曜日

描かれていた、明治天皇。

 静岡県立中央図書館から12月分のデータを受取った。最初の一枚は、楊洲周延の「征韓論之圖」でこれは同じものが国立国会図書館にも収蔵されている。作業をしながら関連の征韓論之圖を見ていたら面白いことに気づいたのでご報告したい。
以下は、西南戦争錦絵美術館からの引用。


S026 征韓論之圖 から
 この画題では周延は3種類の絵を描いている。
 095征韓論之圖では御簾は左図に描かれておりその前を固めるのが三条大政大臣・二品有栖川宮・岩倉右大臣であるが、13名の人物が描かれており、名札は12枚である。
 096征韓論之圖2では、このページでご覧の通り、御簾は中図にあり、前を固めるのは岩倉右大臣と二品有栖川宮である。また、人物は17名、名札は16枚である。
 097征韓論之圖3では左図に御簾が描かれ、前を固めるのは仁和寺宮・有栖川宮・岩倉具視公である。人物は16名、名札は16枚、一見合っているのだが、実は右図の後ろの方の人物の数と名札があっていない。実際のところ名札は15枚と見なしていい。

キヨッソーネ画
 さて、すべての絵で、人物の数が名札より一名多い。そして、その人物はいずれも御簾の真下に描かれている。もうお分かりだろう、明治天皇が、はっきりと絵の中に描かれていたのである。
明治神宮のホームページによると「明治天皇の御尊影といえば代表的なのが明治神宮宝物殿にある御肖像画です。(中略)明治21年、陛下37歳(数え年)のときの御尊影です。実は撮影されたのではなく、コンテ画で描かれたのでした。」
とある通りキヨッソーネが描いたものが、最も有名である。そして、写真嫌いの明治天皇は写真もそれほど残っていない。その意味で似顔絵ではないが、明治天皇の姿を描いた絵の存在は珍しいと言っていいだろう。

日清戦争錦絵美術館の方では「B006  朝鮮豊島海戦之圖」を追加した。これで大英博物館所蔵の作品は一段落したことになる。今後は国会図書館所蔵の作品を英語ページに追加していく作業を始めることになる。

2012年12月17日月曜日

1894 or 1904 ?  秋山好古かも。


B005 我騎兵隊ノ将校斥候定州南門附近二於テ頑強ナル敵之砲火二應ジ勇闘猛戰竟二之ヲ撃退定州ヲ占領ス
作者について、月三という名で調べていたら、尾形月三という名がでてきて、日清戦争錦絵でもおなじみの尾形月耕の子供であったので、飛びついて、その作に間違いないとした訳だが、誕生年を見てびっくり。明治20年の生れなので、制作時7歳となる。いくら早熟な天才肌の2代目であったとしても、また、集団制作の浮世絵であるからといっても、ありえないだろう。そこで、別人を捜さなくてはならないのだが、なかなか見当たらない。月耕自身が月三を名乗った時期があるのか、または、弟子でもあった妻の田井喜久が名乗っていたのか、あるいは、別の弟子か?

 早稲田大学文学学術院助教の向後恵里子は「日露戦争を描いた画家たち—非従軍画家による戦争イメージの形成」の中で「戦争錦絵・石版画は、錦絵自体の求心力が衰えたことで不振に終わったが、戦争初期には小林清親をはじめ楳堂小国政(柳蛙)、尾形月三(圓整)、右田年英(梧齋)などが活動した。」と月三(圓整)の名をあげているので、この錦絵は日清戦争時のものではなく、日露戦争時のものである可能性が大きい。
各作品のサインと印を比較してみる

 大英博物館はこの作品を1894年のものとしているが、大英博物館には他にも3作の月三の作品が収蔵されており、それはいずれも、1904年のものである。つまり、日露戦争の時の作品ということだ。サインや圓整の印は同じなので、この作品は日露戦争時のものと断定してまず間違いないだろう。

 画題には騎兵隊とあるので、騎兵第一旅団(旅団長 秋山好古)を描いたものかもしれない。

 

日清戦争錦絵美術館 英語版

 日清戦争錦絵美術館の全作品のデータの確認とズームツールの導入が完了した。多少は信頼性と利便性が上がったと思う。次の作業として、前に許可を得ていたがなかなか着手できないでいた大英博物館の所蔵作品を追加していくことにした。さらに、この機会に前からやりたいと思っていた、英語版にもチャレンジしてみることにした。大英博物館の所蔵作は今のところ7作品しか見つけていないだが、すべてに英語で解説というか情報が載っているので、それを利用してやってみようという考えだ。つたない英語だが、日本語が全く読めない人には多少の手がかりにはなるだろうから、チャレンジしてみる。
今のところ以下の5作品がご覧いただける。もちろん日本語の方にも追加しております。