075平壌激戦我軍大勝図から 部分 |
博愛社創設許可の図 寺崎武男 筆 |
当時の標章については、1877年のイラストレーテッドロンドンニュースの絵の中で横浜港から出発する官軍の兵士の中に赤十字のマークの入ったリュックを背負っている者が描かれている。ただ、この時期は博愛社が、戦地熊本で活動していたのであろうし、後で述べるように赤十字の標章が使用されるようになったのが、10年後なので、この兵士は、博愛社の関係者というよりは、若き国際赤十字活動(1863年から)を知るイラストレーテッドロンドンニュースの記者の思い込みか、あるいは、勇み足、つまるところ創作では無いだろうか。ただし、赤十字の標章の意味する所は政府でも認識していたはずである。
西南戦争で西郷軍を討つために横浜港から発つ帝国陸軍の画の中で右側に赤十字が描かれたリュックを背負った兵が描かれている。Troops For Satsuma (Embarkment,)Illustrated London News1877 |
S012 伝聞民之喜 つたゑきくたみのよろこび |
左が博愛社が10年間使っていた日の丸横一の標章の想像図(筆者作成)、右は現在の赤十字の標章 (ウィキペディアより) |
上段の左は赤十字、中が赤新月、右は赤獅子大陽 そして、下段が第三の標章レッドクリスタル(いずれもウィキペディアから) |
左がダビデの赤楯(不認可)、中はレッドクリスタル、右はレッドクリスタルの中に ダビデの赤楯を配した標章。これによってイスラエルは国際赤十字に加盟できる事となった。 |
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