滋賀県立美術館で開催中の「近代の洋画・響き合う美」をを見てきた。チラシにもなっている、小磯良平の「斉唱」がこの展覧会の目玉となっている。「斉唱」は100.3×80.8の油彩画で1941年(昭和16年)に描かれた。長い日中戦争から太平洋戦争へと戦線が拡大していく時期にこのような透明感あふれる画が描かれた事は、平和への希求を歌っているかのように見えなくもないが、小磯はこの同じ1941年に「娘子関を征く」(東京国立近代美術館蔵)を発表し、戦争画も積極的に制作している。ただ、現実にこの画の前にたたずむとその美しさは思わず息をのむほどだ。画面の多くを占める黒い制服は塗りつぶされた黒ではなく、陰影をもった奥行きのある黒であり、重苦しいというよりはむしろ、空気を凛と引き締めるような張りつめた感じを与えている。
「横臥裸婦」1935を挟んで展示してあるのは「洋裁する女達」1939であるが、これがすごかった。動きのある仕事場の風景の一瞬を切り取っているのであるが、その切り取り方がダイナミック。左の女性などは体半分フレームアウトしている。群像画の達人の静と動がすぐ近くで比べられる。そういえば藤田嗣治も群像画の達人であったがデッサン力を備えた、群像画の達人は共に戦争画の達人ともなっていった。戦後小磯良平は戦争画制作に対して後悔の念を述べているが、つい最近その事を証拠づける手紙が発見、公開されたらしい。
デッサンではあるが、小磯の「よじのぼる兵」1941「兵隊二人」1941の2枚も展示されている。作戦記録画作成のため戦地へ赴いてスケッチを重ねた事をはっきりと示す資料である。瞬間をとらえるデッサン力、装備や軍装など要求されたであろう細部の描写力などはさすがと思わせる力量である。
ほかにも、面白い作品がいくつかあった。本多錦吉郎「羽衣天女」1890、鍋井克之「海辺の断崖」1919、岸田劉生「樹と道 自画像其四」1913、須田国太郎「工場地帯」1936などだ。清水登之「テニスプレーヤー」1918と阿部合成「見送る人々」1938がすぐ近くに並んで展示されていたのは妙に印象的だった。というのも、清水登之はその後戦争画を制作する事になるのでその名を印象的に覚えていたのだが、大正時代はモダンだった。そして、阿部合成であるが、この「見送る人々」が国際雑誌の戦争画の特集号の口絵を飾ったことから『反戦画家』とレッテルを貼られた事と翌年の新制作展入選作がピカソの模倣と批判された事で以後あらゆる公募展と絶縁してしまっている。作品の時代は大きく異なるものの画家の人生を考えさせる、展示になっていた。『洋画の名品より』というくくりなので偶然こんな配置になったのだろうが、この展覧会は兵庫県立美術館の収蔵作品のみで構成されているのでそんな制限が、逆に面白い効果を生んだのかもしれない。
川西英の木版画は神戸らしいモダンな感じで、全体にすこし重たい感じを和らげていた。「具体」の作品がもっとたくさんあれば、もっと明るくなっただろう。
最後に今回の感想で一番の印象は、油絵は100年以上平気で持つという事である。今更何を言うか、と思うかもしれないが、明治時代の油彩画がつやもそのままに(多分)並べてあると、やはり圧倒される。なかなかの企画だった。
0 件のコメント :
コメントを投稿